鴨川でビールを飲めたら幸せです

カズレーザーさんが好きです

ほんとはポケモンしたかった

教育って宗教みたいだ。

 

子どもの小さな世界ではお母さんってすごく大きな存在だし、お母さんのこと否定するのはなかなかできることじゃない。

子どもにとってはお母さんが世界といっても過言ではないと思う。

わたし子どもの世界になる自信ないなあ。

いいお母さんになれるのかな。

 

いいお母さんって、なに。

 

はだしのゲン』の描写が過激ということで松江市の小学校の図書室で閉架になったっていうニュースを聞いた。

そういえばわたしの親も、はだしのゲンは読んじゃだめって言っていた。

友だちは読んでたけど、当時小学生だったわたしは親に反抗するなんて考えられなくて、途中まで読んでいたはだしのゲンを読まなくなった。

律儀。

 

子どもの頃、親からいろんなことを禁止されてた。

今もだけど。

 

たまごっちもゲームボーイもプレステもまんがもMDポータブルも持ってなかった。

お小遣いで買うのもだめだった。

 

だから友だちのゲームの話には全くついていけなかったし、大勢でゲーム機囲んでわいわいやってる輪の中にはよう入らんかった。

人見知りだったし。

 

もちろんお母さんもお父さんも、意地悪であれもだめこれもだめと言っていたのではないはずで。

心配したりわたしのためを思ったりした結果、そうなってしまったのはわかってる。

ただ、今のわたしがぼっち体質なのはその影響もあると思う。

わたしが努力すれば変わることだと思うから全部親に責任を押し付けるつもりはないけど、土台はこうして作られたんだって思っちゃう。

 

今は自分のお金で欲しいものをある程度自由に買えるけど、結局大勢の輪の中に入ることは苦手なまま、克服できずにここまできてしまった。

 

ゲームがないと遊べないような友だちなんてしょうもないっていう考えも、今ならわかる。

でも田舎の小学生だったあの頃のわたしにとっては、ゲームを持ってないから友だちについていけないというのは、すごく大変なことだった。

大袈裟な言い方をすれば、小さな世界をうまく渡っていくにはゲームボーイというアイテムが必須だった。

 

お母さんもお父さんも迷ったと思うけど、それでもわたしがゲームを買ってもらえることはずっとなかったから、2人はそれが正しいと信じたんだと思う。

その“正解”が、子どものわたしには理不尽で理解できないことだったんだ。

 

 

これって親のせいにしすぎかなあ。

 

それとも2人ともわたしが反抗するのを待ってるのかな。

考えすぎかな。

 

いろいろと制限されてたことに対して恨んではいないけど、今でもちょっと寂しいというか悔しい気持ちはある。

 

でもわたしも自分の子どもが生まれたら同じようにしちゃうかもしれない。

だってこどものことすごく心配すると思う。

あれもこれもだめって、絶対そう言わないっていう自信はない。

結局自分が育てられたように子育てするっていうし。

わたしがいちばんよく知ってるお母さんはわたしのお母さんだから。

でも違うやり方を探したいなあ。

 

いいお母さんってなに。

 

って思うけど、お母さんのことは大好き(^^)